3月23日牧師室より

結果にはそれを惹き起こす原因があるという考えがあります。事故が起きるとその原因を探り再発防止の対策を取るというのはこの考えに基づいています。それを人生に当てはめたものが因果応報という考えでしょう。これは、人は良い行いをすれば良い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということを意味しています。この考えに従えば人間は良い行いをすることで良い報いを得ることができるということになります。神がおられることを知らないで人間の行いのみを見るならば、このような考え方になるのも仕方がないかもしれません。

しかし「ヨブ記」の主人公ヨブの人生は、人生にはこの考えが通用しないということを示しています。彼は完全で正しく、神を畏れ悪を遠ざけていましたが、子どもたちが死に財産がすべて失われてしまい、彼自身もひどい皮膚病に罹って苦しむようになってしまいました(ヨブ記1-2章)。しかしヨブは神から離れることなく、長い苦しみの後に回復してもらいました。ヨブは「主を尋ね求めよ、呼び求めよ。」(イザヤ55:6より)を身を以て示しました。

イエス様は悲惨な事件や事故を知ったときに、死んだ人たちは誰よりも罪深かったからではなく、悔い改めなければ皆同じように滅びると言われました(ルカ13:1-5)。悔い改めて神を見上げるようにならなければ永遠の命に入ることなく滅びるのです。今日を神と信仰の家族と共に生きる、そのことの繰り返しが命に至る道なのです。

イエス様は悪い行いをする人間をそのままに放ってはおかれません。滅びるしかない人間を執り成し、悔い改めて神に立ち帰るように導いてくださいます。