5月11日牧師室より

今年1月に開催された千葉県信徒大会で講演された近藤勝彦牧師(元東京神学大学学長)は講演の中で「キリスト者とされたことは実に大きなことであって、それを学び続けて65年、いまだに学びつくせない神の慈愛の大きな恵みだと思います。それは主イエス・キリストのものとされ、神を“アッバ、父よ”と祈る神の子とされたということです」と語りました。この言葉は経験に裏打ちされた真理だと思います。

イエス様は洗礼を受けた者に永遠の命を与えると言われました。悩みの時や苦しみの時に、それを跳ね返すことができる希望は洗礼を受けた私たちが既に永遠の命に生きているということからです。私たちは神を知っており、神は私たちを知っておられます。ですからキリスト者は決して滅びず、誰もイエス様から私たちを奪うことはできません(ヨハネ10:28)。父なる神が御子イエス様に下さったものは「すべてのものより偉大である」(29節)とイエス様が言われたのは洗礼を受けた私たちのことです。イエス様はすべてのものにまさるものが私に与えられたと喜んでくださいます。

近藤牧師が65年の信仰生活を振り返り、信徒大会で私たちに伝えたのはこのことではないだろうかと思います。しかし信仰の長さは関係ありません。洗礼の恵みは徐々に私たちの心に広がります。洗礼を受けた時にその人はすでに父なる神と御子イエス様の祝福を受けています。イエス様は「わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う」(27節)と言われます。イエス様が私たちの傍におられますから、私たちはイエス様に従うことができます。主に従うことは何と嬉しいことでしょう(讃美歌21 507番)。