6月15日牧師室より

「真理の霊(聖霊)が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである」(ヨハネ16:13)。

ルターはこのみ言葉について「聖霊はみ言葉によって、み言葉と共に存在していて、み言葉を通して、私たちをあらゆる真理へ導こうとしておられます」と述べています。このルターの言葉によって、聖霊が真理の霊であるということの意味が分かるように思います。聖霊は子なるイエス様と父なる神とひとつであり、私たちを真理に導いてくださいます。

真理とは絶対とか相対的という尺度では測れないもの、それは「あなた」と「わたし」という関係性の中にあるものではないかと思います。私たちが神に「おとうさん」と呼びかけるのもこの関係性に基づいています。

私たちは他者のために祈ります。それは他者との関係性に裏打ちされての祈りであり、イエス様が教えてくださった“隣人を見返りなしに愛する行い”です。イエス様は敵をも愛しなさい(マタイ5:44)と言われますが、それは愛するという行いが、好き嫌いといった感情を越えていることを教えています。「愛する」とは行動、行為、動作です。

教会は今この時にも苦しんでいる人たちや悩んでいる人たちのために「どうかその人たちの魂に安らぎを与えてください」と祈ります。これは口先だけの祈りではありません。自分は大丈夫と感じて他者のために祈ってあげるような祈りでもありません。自分自身に祈りの課題があることを認めつつ、他者の魂に平安が与えられるように祈るのです。