8月17日牧師室より

イエス様は地上におられる時に、ご自分が天に上げられた後に弟子たちがどのように生きるかを示してくださいました。それは「主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見てもらえるしもべたちは幸いだ」と語られた言葉に表されています(ルカ12:37)。イエス様は再び来られます。その時に教えを行っている弟子たちは幸いです。

いつ主が来られても良いように過ごすというのを品行方正に生きる生き方と理解するなら、きっと窮屈な生き方になるでしょう。そうではなくこれは「主なる神を愛し、隣人を自分のように愛しなさい」(ルカ10:27)という最も大切な戒めを行うことなのです。「(見返りなしに)愛する」というのを「自分が正しいと思うものを相手のために譲る」と言い換えた人がいます。これならば具体的な行動に結びつくのではないでしょうか。実行するのは難しいことですが、互いに譲らないならば共に生きる神の国は現れません。

私たちは他の人のことが分かっていませんし、実は自分のことも本当にはわかっていません。だから主なる神さまに祈ることが大切です。自分の力によってはイエス様の戒めを守ることは不可能です。主の御力によって守ることができる者にならせていただくのです。祈りつつ行うならば主は私たちを見返りなしに愛する者に変えてくださいます。

イエス様は御子でありながら父神のしもべとして見返りなしの愛を私たちに示されました。反対者たちの抵抗を受け、蔑まれ、十字架の死に至るまで忍耐されました(ヘブ12:1-3)。「忍耐する」とは主が与えてくださった戒めに堅く留まることです。私たちはイエス様と同じことはできませんがそれに倣うことはできます。自分の思いを相手のために譲ることができるならば、その人は柔和な人になり祝福を受けるでしょう。