9月28日牧師室より

テレビ小説『あんぱん』が終わりました。最終回で「命は賜物」というBGMの歌詞が、わずかな余命ののぶさんと嵩さんが互いの思いや人生を語り合いながら歩く場面にぴったりで心に響きました。人は死んだ後、その人がどんな働きをしたかではなく、どう生きたかという記憶を残すと思います。

ルカによる福音書16章にイエス様の話された「金持ちと貧しい人のたとえ話」があります。貧しい人は食べる物がなく金持ちの家の門前に横たわって金持ちの食卓から落ちるものでもいいから食べたいと思っていました。金持ちは贅沢に遊び暮らしていました。当時の常識によれば貧富は神がお決めになるもので仕方がないものというものでしたから、金持ちが非難されて貧しい人が憐れまれるということはなかったようです。

しかしこのたとえでは、死んだ後、貧しい人は父祖アブラハムと祝宴にいて、金持ちは陰府で苦しんでいます。神はこのたとえを通して人がどう生きるかを示しておられます。それは神に祝福された人は貧富の差によらずに、それぞれの生を充足させることができるということです。金持ちは自分が持っているものを分けることで、貧しい人はそれを受け取り人々のために働くことことで、どちらも生を充足させることができます。私たちは一人で生きるように造られたのではなく、すべての人が神の祝福を受けて生きていることを覚えて互いに愛し合って生きるように造られています。このことを告げる預言者はすでに世に現れましたし、御子イエス様も世に来られてこのことをお示しになりました。