ようやく暑い日が終わり秋らしい装いになってきました。一方で台風の季節でもあります。私たちは自然の猛威に対して無力です。少しでも被害が少なくなるように日頃から避難方法について考えておきたいと思います。これは私たちを愛してくださる神に応えることです。
ところで、私たちの信じる神はどのようなお方かを使徒信条を通して知っておく必要があります。たとえば旧新約聖書を用いながらも、イエス様は人間より偉いけれど神ではないという異端宗教があります。しかしイエス様が神でなければ人間の罪を償うことはできませんから、人間は罪から解放されることはありません。モーセは金の子牛を拝んだ民の罪を贖うために自分の命を神に差し出そうとしましたが神はそうはなさらず民を打たれました(出32:32)。
イザヤ書53章の苦難のしもべはイエス様の死を預言しています。「彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と」(イザヤ53:4)という言葉に表されている通りです。
使徒パウロが「イエス・キリストのことを思い起こしなさい」(Ⅱテモ2:8)と命じているのは私たちが福音から離されないためです。私たちを惑わそうとする誘惑は異端宗教だけではなく、この世の快楽や不条理もあります。重い病を癒してもらった人は神を賛美するためにイエス様のところに戻ってきました。イエス様はその人に「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(ルカ17:19)と祝福を与えられました。