イエス様は私たちに父なる神を見るように教えておられます。二人の人がいました。一人は非の打ちどころのない人、もう一人は人々からさげすまれる職業に就いている人です。この二人が神殿で祈りました。イエス様は父に義とされたのは後者だと言われました。なぜでしょうか。前者は正しい人間だと自惚れて自分は汚れた人ではなく清い者であることの感謝を祈りました。後者は罪人の私を憐れんでくださいと祈りました。神は人の内面にあるものを見ておられます。そして罪を犯してしまう存在であることを覚えて神に憐れみを祈る人を神は義とされるのです(ルカ18:9-14)。
羊文学という3人組の音楽ユニットの歌に「人間だった」というのがあります。大まかな歌詞はこのようなものです。
『ぼくたちはかつて人間だったのに
いつからか忘れてしまった
ああ いま 飛べないなら
神さまじゃないと思い出してよ
街灯の街並みに 燃える原子炉
どこにいてもつながれる心
何を得て 何を失ってきたのだろう
忘れないで
自然は一瞬で全てをぶち壊すよ
思い出してよ 神さまじゃない。』
人間はどれだけ罪を犯せば満足するのかと自分自身を含めて嫌気がさしてしまいます。罪を犯させる原因を除いてもらわなければ私たちは罪を犯したくなくてもそうしてしまいます。この絶望から救ってくださるのは救い主イエス様です。神であるこのお方に憐れみを祈りましょう。