教会の暦で11月第1主日は「聖徒の日」です。英語ではAll Saints Day(すべての聖徒の日)と「すべての」がついていて、この日には先に天に召された方々のことを覚えて主を礼拝します。今日は礼拝堂の前の方に写真が並べられています。懐かしいお顔や私たちがこの教会に所属する前におられた方々のお顔があります。
イエス様は貧しい人、飢えている人、泣いている人たちは幸いである(ルカ6:20,21)と言われます。この言葉はその後の「人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき」あなた方は幸いである」(22節)と関係しています。戦争中にキリスト教は敵性宗教と見なされ、多くの人はキリスト者を迫害しました。そのような中で信仰生活を続けた人たちがいました。この人たちの多くはすでに召されましたが、天では大きな報いを受けています。なぜならイエス様は「天には大きな報いがある」(23節)と言われたからです。
今もキリスト教に対する漠然とした不信感があるように思います。残念ながら財産を奪われるのではないか、教会に取り込まれて自由が奪われるのではないかといった見方が一部にあることを否定できません。
しかしキリスト者は知っています、まことの自由は神を信じることから生まれるということを。古い慣習や力関係に束縛されることなく、自分の意思で判断し決断することの自由を知っています。私が出会った牧師は貧しさをものともせず、福音を語ることや信徒を養うことの自由に喜びをもって生きていました。