福音書にはイエス様の復活のことが大々的に取り上げられていて人の復活のことは目立ちませんが、人の復活についても記されています(ルカ20:27-38、マタイ22:23-33、マルコ12:18-27、ヨハネ5:21,29、同6:39-54、同11:17-27)。
イエス様の時代、子どもがいない夫婦の夫が死ぬと妻は亡夫の弟と結婚して兄の子とする子を生まなければなりませんでした。当時は後継者がとても大切で、男女ともに当人たちに結婚の自由はなかったようです。このような慣習はモーセの言葉(申命記25:5-6)に基づいています。
人の復活を否定するためにイエス様に論争を挑んだサドカイ派の人々はその慣習を元に次の極端な譬えをイエス様に示しました。『兄が結婚し子がなくて死に、その弟たち6人も同様に死に、結婚した女性も死にました。復活の時その女性はだれの妻になるのでしょうか』。もっともな疑問のように思えます。これに対してイエス様は「復活する人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。」という主旨の言葉を示されました。
復活すれば再び愛する人と出会うことができるという希望は損なわれませんが、もはや死ぬことがないので結婚は必要なくなると言われるのです。神の国では奪うことは必要なく、すべてのものが調和して平和なのだということをイエス様は伝えていると思います。しかし復活を具体化しようとするのは人間の欲望です。復活して神の平和に入るという希望だけで十分なのです。