1月11日牧師室より

「平安」の意味を私たちは改めて考えなければならない状況になりました。ある新聞は社説で「米国のベネズエラ攻撃は、力による現状変更、主権侵害という点でウクライナ侵攻と同質だ」と主張しました。この数年の間に力の強い国が弱い国の主権を力により侵害する悲惨な出来事が起きています。世界は混沌として不安が膨れ上がっています。

イエス様は「平安」をどのように語っているでしょうか。イエス様は「わたしは、平安をあなたがたに残し、わたしの平安を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」と言われました(ヨハ14:27)。新共同訳では「平和」と訳されていますがこれは「平安」という意味でもあります。世が与える平安とは何事も起きないで平和な状態ということでしょう。それに対してイエス様は「世の中が乱れて混沌としていようとも私は平安を与える。」と言われるのです。

なぜイエス様はご自分を救い主と信じる人々に平安を与えることができるのでしょうか。イエス様は神の御子であり「心に適う者」(マタイ3:17)だからにほかなりません。この点が曖昧になると悲惨なニュースに不安を覚え、何もできなくなってしまいます。しかしキリスト者には平安が与えられているのですから悲惨な出来事に対峙して弱い者も生きることができる世界を実現する働きを担うことができます。今のような世界情勢の時にこそ私たちはこのことを思い起こしたいと思います。