神さまは人間には何が善であり、人間に何を求めているかを私たちに告げています(ミカ6:8)。神さまの言葉を聞くならば私たちは迷うことはありません。たとえばイエス様は山上の説教(マタイ5:1-12)で、幸いについて教えておられます。「心の貧しい人は幸いである。天の国はその人たちのものである。」とか「悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。」、「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」といった言葉です。
しかしこれらのイエス様の言葉を理解するのは難しいことです。私たちは、心の貧しい人や悲しむ人は不幸だと考えるし、平和を実現するなんてことは自分にはできないと思うからです。イエス様は心が貧しい状態や悲しんでいる状態が幸いだと言っているのではありません。それでは、なぜイエス様はそのような人々を幸いと言われるのでしょうか。ある人の経験を通してこのことを考えたいと思います。その方の言葉として記します。
『私は心の貧しい人間だと自分を卑下していました。力がないのに力を誇示しようとしていました。何とかまわりの人から認められなければ存在価値がないと思っていました。しかしイエス様の「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」という言葉を聞いて、私のような卑屈な人間でも神さまは覚えていてくださることを知りました。私は喜びの涙を流して心から神に感謝しました。イエス様が心の貧しい私のことを知っていてくださるのです。これ以上の幸いはありません。』
私たちは一人ひとり、本当の自分をイエス様が知っていてくださり、幸いだと祝福しておられます。