誘惑に直面した際にどのように立ち向かえばよいでしょうか。現代の心理学では脳の仕組みに基づいた対処法を提案します。それは、誘惑の対象を視界から消す、あらかじめ誘惑に対する対処法を決めておく、誘惑による損失(健康、信頼、お金)を想像する、といった対処法です。ところがこの対処法でも誘惑を退けることはできません。人は落ち込むか開き直るかしかなくなります。
創世記にある蛇の誘惑(創3章)の物語には人間が誘惑にそそのかされる様子が描かれています。神の戒めはたったひとつ、「善悪の知識の木からは決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」(創3:16)でしたが、蛇は「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」とエバをそそのかします。エバが神の戒めをそのまま伝えれば誘惑を退けられたのに、エバは自分の解釈を伝えました。そして蛇の狡猾な誘惑に乗せられて決して食べてはならない木の実を食べてしまったのです。これが人間の弱点ではないかと思います。「この程度は大丈夫。蛇が言ってるじゃない」と考えて責任を蛇に委ねてしまったのです。どんなに回避する論理を考えても誘惑には勝てず、そのあと自己保身に向かうのです。
イエス様が誘惑に遭ったときにはどの様な悪魔の誘惑も聖書の戒めをそのまま告げて退けました(マタイ4:1-11)。誘惑を退ける力の源泉は神の愛(戒め)にあります。聖書を通して神との関係を正しくしていれば大丈夫です。もし誘惑に負けても悔い改めて主を求めれば主は赦しを与えてくださいます。自分の知恵で誘惑に立ち向かうのではなく、祈りつつ御言葉によって誘惑を退けたいと思います。