聖書 サムエル記上3章1~10節、ヨハネによる福音書1章43~51節
キリスト者になるということ
私たちがイエス様を信じ洗礼を受けてキリスト者になったことにはどのような意味があるかということを思い返せば、人生に希望を持つことができるようになったという点で大きな意味があるということではないかと思います。それは大変に大きなことで、困難な人生に立ち向かっていく力を得ることができます。そしてそれは年齢を重ねても同じで、地上での日々が短くなっていくことを感じつつも、今日を神さまと共に生きる喜びへと向けられていきます。
水野源三さんというキリスト者がいました。彼は9歳の時に病気に罹って、体を動かすことも話すことも書くこともできなくなってしまいました。しかし12歳の時に宮尾牧師という人に出会い、イエス様を信じました。そしてお母さんとの共同作業によって、まばたきで文字を紡ぎ出すことを見い出し、イエス様との対話を詩にしていきました。その詩にはこの世界の美しさや人のやさしさにあふれています。彼はイエス様に招かれて、それに応えた人の一人です。
神に招かれて
本日与えられた御言葉は預言者サムエル、使徒フィリポ、そしてナタナエルの召命の出来事です。サムエルは古代イスラエル王国の初代の王サウルと二代目の王ダビデの頭に油を注ぎ王とした預言者として聖書のサムエル記に記されています(サム上10:1、16:13)。フィリポはイエス様の12弟子の一人です。それに比べるとナタナエルは聖書の中ではわずかな記録しか残されていません。本日の個所以外に彼が登場するのは、イエス様が復活した後に復活のイエス様に会ったという記事だけです。ヨハネによる福音書21章2節に「ガリラヤのカナ出身のナタナエル」という名前が記されています。ナタナエルは預言者でもなければ使徒でもありませんでしたが、イエス様を証しする証し人として用いられました。
フィリポとナタナエルの召命
ヨハネによる福音書1章43~51節にはフィリポの召命とナタナエルの召命の記事が記されています。フィリポはイエス様の12弟子の一人です。ナタナエルは復活のイエス様に出会った一人としてイエス様のことを語り伝えた証し人になりました。
まずフィリポの召命について、43節に『その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。』という非常に簡単な文章が記されています。イエス様はフィリポを見つけてご自分の許に招きました。この時のフィリポの反応や応答の言葉は書かれていません。これはマタイ福音書やマルコ福音書のペトロやアンデレの召命記事の簡潔さと同じような簡潔さです。それに対してナタナエルの召命のことは詳しく書かれています。
45節 フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」
フィリポは自分を招いたイエス様のことを伝えるためにナタナエルのところに行き、彼にイエス様のことを話しました。「モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方」とは「救い主」のこと、「ナザレ」とはイエス様の出身地です。イエス様がお生まれになったのはベツレヘムですが両親が暮らしていたナザレ村の出身者だということです。そのナザレの出身者イエスが救い主イエス様だとフィリポはナタナエルに伝えました。きっとフィリポは興奮して話をしたことでしょう。救い主のことは旧約聖書に預言されており、ユダヤの人たちはこのことを良く知っていました。しかしいつ、どこに救い主が現れるかは知らされてはいませんでした。「救い主が現れた、それはナザレのイエス様だ」。これこそ「福音」、「良い知らせ」です。それは興奮する出来事であり、また決して簡単には信じてもらえない出来事でした。
46節 するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。
ナタナエルはフィリポの言葉を疑いました。彼はナザレという村の名前につまずきました。エルサレムから遠く離れたガリラヤ地方の人口数百人の村です。村の名前も聞いたことがなかったかもしれません。そのようなところから救い主が出るなどとは思いもよらなかったのでしょう。ナタナエルはフィリポの言葉を疑い、フィリポに「ナザレから何か良いものが出るだろうか」(46節)と言いました。
さて、私たちがフィリポだったらどうするだろうかと考えてみるのは興味深いことです。私ならきっとイエス様に出会った時のことを事細かに説明し、なぜ救い主と分かったかを一生懸命に説明したのではないかと思います。
フィリポは違いました。フィリポの言葉を疑うナタナエルに「来て、見なさい」(46節)と言いました。ナタナエルが自分の疑いを確認するために、フィリポはナタナエルが行動を起こすように促したのです。
ナタナエルはフィリポの言葉に促されて行動を起こすことで素晴らしい出会いをしました。フィリポが行動を促したこと、そしてナタナエルがそれに応えて行動したことにより、ナタナエルは救い主を知るチャンスを得たのです。聞いて疑いを持ったままでは、フィリポがもたらした情報が本当なのか、間違っているのかを確認することはできません。行動するにはエネルギーや気力が必要ですが、そのことによって人生が変わるということが示されています。
イエス様はナタナエルが来るのを見て、彼のことを「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」(47節)と言われました。ナタナエルが「どうしてわたしを知っておられるのですか」(48節)と言うと、イエス様は「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」(48節)と、彼しか知らないはずのことをお話になりました。イエス様は枝葉に覆われたいちじくの木の下で、独り聖書を読み、祈るナタナエルをご存じで、彼が神を求めていることを知っていました。ナタナエルは驚きましたが、それはイエス様の千里眼的な能力にではなく、ナタナエルの信仰をイエス様が知っておられたことに驚いたのです。それでナタナエルは信仰を告白しないではいられなくなりました。
49節 「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
イエス様を神の御子と言い、またイスラエルを導く王と言うこの言葉は信仰を告白する言葉です。
イエス様はこの言葉を受けてナタナエルに、「もっと偉大なことをあなたは見ることになる」(50節)と語り、更にそこにいる皆に「天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」(51節)と告げました。この言葉は居合わせた人々には謎の言葉でした。しかしそれはイエス様の十字架の苦難と勝利を暗示するものでした。
ナタナエルはこのようにして主に招かれ、主を証しする人となりました。彼のその後は聖書には記されていません。いわば彼は一人の信徒として日々を送った人だということができます。その彼の召命の記事がこれほど詳細に書かれていることに一種の感動を覚えます。フィリポはまさしく私たちだと思えます。いちじくの木の下で祈っていたのは人生に確かなものを求める姿でした。フィリポが福音を告げたのに彼が疑ったのは、人間の弱さを表しています。しかし、彼はフィリポに促されてイエス様のところに行きました。行動を起こしたのです。そのことにより救い主に会うことができました。これが救い主との出会いです。救い主イエス様はナタナエルを招き、彼は信仰を告白しました。
旧約の預言者サムエルは少年の時に神の呼びかけを聞き、最初は神の言葉だとは分からずに養育者である祭司エリのところに行きました。しかしエリに促されて次に声が聞こえた時は「どうぞお話しください。僕は聞いております。」(サム上3:10)と答え、預言者としてイスラエルの王となる者に油を注ぐという使命を果たしました。フィリポは使徒としてイエス様に付き添いイエス様の働きを担いました。ナタナエルは復活のイエス様に会い、イエス様を証しする証し人として立てられました。
数多くの人々を招かれた主
現代までに膨大な数の人々が聖書を通して復活のイエス様に出会い、このお方を信じて、証し人として人生を送りました。ある者は神学者として、またある者は教会の奉仕者として、さらにある者は社会の奉仕者として、イエス様が救い主であることを証ししてきました。その中には水野源三さんのように話ができない人もいました。三浦綾子さんや遠藤周作さんのような小説家もいました。そしてもっと大勢の名前の知られていない人たちが証し人として立てられてきました。
私たちもその証し人の一人です。土気あすみが丘教会は今年、40周年を迎えます。40年の間にこの教会で神さまを礼拝し、イエス様の恵みを証ししてきました。この教会で信仰生活を送る私たちが証し人です。40周年記念のいろいろな行事がこの地での主の恵みを証しするものとなることでしょう。
証し人として
主は人を証し人として立てられ、人は主に招かれて証し人となります。主はサムエルに声をかけられたように、聖書を通して私たちに呼びかけてくださいます。フィリポを見つけて「わたしに従いなさい」と言われたように、主は私たちを招きます。ナタナエルのように疑った者も主は招き、ご自分を明らかにします。
主は招き、呼びかけておられます。福音を聞いて疑ったとしても、その疑いをそのままにしないで、行動することで証し人へと招かれます。神に呼びかけられた時に行動を起こすことによって、疑いは確信へと変わります。そして主の証し人として使命を果たすことができるようになります。