1月14日牧師室より

礼拝が信仰生活の中心であることは誰も否定しないと思います。しかしその礼拝の中身についてはあまり深く考えることはないかもしれません。1月5日㈮に西千葉教会で行われた信徒・教職研修会では日本聖書神学校礼拝学教授の荒瀬牧彦先生から礼拝について教えていただき、考える時を持ちました。簡単に紹介します。

礼拝は1週間の始まりにあたり、各人がそれぞれの生活の場から招かれて集められ、神の言葉を聴き(聖書朗読、説教)、食卓を囲み(聖餐)、生活の場へと派遣されるという1週間の生活リズムの中心です。聖餐は礼拝の付け足しではなく、主にあって皆が神の民としてひとつであることを目に見える形で示す大切なものです。聖餐式がない礼拝では献金や主の祈りによってひとつであることを神に感謝します。

神は礼拝の場に臨在しておられ、礼拝は神と人間との応答によって成り立ちます。礼拝は、招集、み言葉、聖餐、派遣から構成されます。<招集>では神が招き、人は神を賛美して悔い改め、神は赦し、人は赦しを確信します。<み言葉>では神が語り、人はそれを聴き、応答の賛美を歌い、信仰を告白します。<聖餐>では人が献げ、神が食卓に着かせて食事の意味を示し、人は救いの業を感謝し、神は養い、人は食べて飲みます。これは主キリストと共にする食卓です。<派遣>では人が祈りの課題を共有して共に祈り、神は使命を与えて祝福し、人は生活の場へと送り出されます。

そのほか、礼拝の神学、讃美歌、活力(ダイナミズム)、現実(リアリティ)なども教えていただきました。