私たちはコンサートが盛会だったことに満足を覚え主に感謝しました。しかし主はある方を通して私たちが行ったコンサートが不完全なものであることを示してくださいました。それは演奏された曲に馴染みがなくて楽しめなかったということでした。私たちはこのことをどのように受け止めたらよいでしょうか。
「次は完全にする」という考えがあるでしょう。人間的な意味での完全は謂わば非の打ち所がないようにするということです。しかしそれは不信、分裂、争いを起こします。何が間違っているのでしょうか。それは主に懺悔することを忘れているということにあります。私たちは演奏会を導いてくださった主に感謝するとともに、楽しめなかった人がいたことを告白し主に赦しを乞い願わなければなりません。
主は私たちが完全ではないことをご存じです。それをご存じの上で無償の愛によって完全になりなさいと命じておられます(Ⅱコリ13:11)。私たちは主にあって信仰の家族であり神の民です。また主はすべての人を愛しておられます。このことが一番大切なことです。
主は私たちに課題を与えそれに正しく応答することを求めておられます。完全であることではなく、主に従いつつ完全を目指すことが私たちを神の前に正しくします。このことを示してくださった主の栄光を讃え、感謝と賛美をささげます。