新年早々、能登半島地震やそれに伴う航空機事故が発生して多くの人が心を痛めています。家屋の倒壊や火災によって多くの人が亡くなりました。昨年末には杉並区で歩道を歩いていた母子が夫ともう一人の子の目の前で、突然建物の中から飛び出してきた車に轢かれて死亡する事故が起きました。このような災害や事故が起きると、神はどこにいるのかと問う声が聞こえてきそうです。それに対してキリスト者は信じていることを語りたくなります。しかし語ることよりもその悲しみに寄り添うことが悲しんでいる人を癒します。
イエス様は癒しを行われる際に深く憐れまれました(マタ9:36、14:14、20:34、マコ1:41、6:34、ほか)。この憐れみは腸が千切れるほどの痛みを伴うものだと言われています。ご自分が苦しまれるのです。そして癒しの奇跡を行われます。私たちは奇跡を起こすことはできませんが、悲しみを共にし、祈りによって神さまが癒してくださることを願うことができます。そして時が満たされれば癒しは起きます。
人はいつ、どこで、どのように死ぬかを選ぶことはできません。生きている者もいずれは死を迎えます。どのように死ぬかを選ぶことができないのですから、いつ死んでも良いように、神の言葉に従って日々を過ごすことへと目を向けなければなりません。そして、死は終わりではありません。イエス様は「死者の復活については、神があなたたちに言われた言葉を読んだことがないのか。」(マタ22:31)と言われました。
復活の時が訪れるのです。