投稿者: 土気あすみが丘教会

「ひとつの預言」(2018年10月14日礼拝説教)

イザヤ書53:11~12 ヨハネによる福音書11:45~57  先々週とその前と二回に亘って、11章のラザロの死と蘇りの御言葉に聴きました。 少し振り返りたいのですが、イエス様はマルタに言われました。「わたしは復活であり

「神から出たもの、人間から出たもの」(2018年10月7日礼拝説教)

ダニエル書3:19~24 使徒言行録5:27~42  私が劇団の養成所にいた頃、雑学、簡単な哲学のような授業もあったのですが、講義の中で、「学校で学ぶ世界史というものは何だか分かりますか?世界史というのは実はキリスト教の

牧師室より「祈られている」

 先週、嬉しい出来事がありました。思いがけず、旧知の方からお便りが届いたのですが、そのことは私にとって、「私はその方にずっと祈っていただいていたのだ」ということを、深く感じる出来事でした。日々、私たちはそれぞれの場で苦闘

「憐みの熱情」(2018年9月30日礼拝説教)

ヨブ記42:1~6 ヨハネによる福音書11:28~44  今週の休日、何気なく家の書棚にずっと眠っていた、キェルケゴールの名著『死に至る病』を取り出して開いてみました。「死に至る病とは絶望である」さらに「絶望は罪である」

10月28日教育講演会

講壇から語りかける安積先生 熱心に耳を傾けました。 午前の礼拝においてはレンブラントの「放蕩息子の帰還」を題材にし「神に待たれている私-どこに立ち帰るか-」と題し説教されました。

牧師室より「かにた婦人の村」

 9月20日(木)千葉内房分区牧師会で、かにた婦人の村に行って参りました。ここは社会福祉法人べテスタ奉仕女母の家の運営する、婦人保護長期入所施設です(「奉仕女」とは、ドイツ語のディアコニッセの略)。「売春」ということが法

「イエスは復活と命」(2018年9月23日礼拝説教)

ダニエル書12:1~3 ヨハネによる福音書11:1~27  ヨハネによる福音書は、イエス様が神である、主なる神とひとつのお方であるということを「七つのしるし」を通して語っています。  第一のしるしは、2章のカナの婚礼に於

牧師室より「教会フェスタ」

 5週目のある聖日の午後は、教会懇談会が予定されておりますが、来る9月30日は、「教会フェスタ」(このタイトルは西千葉教会の秋の行事からいただきました)と題して、あたたかいうどんを役員会で用意して、普段あまりお話をうかが

「イエスを認めない人々」(2018年9月16日礼拝説教)

ホセア書5:14~15 ヨハネによる福音書10:22~42  ヨハネによる福音書を読み進んでおりますが、この福音書では絶えずイエス様の周りでイエス様を認めず、信じないユダヤ人たちが登場いたします。イエス様とユダヤ人たちと

牧師室より「野の花」

―野の花― イエス様はガリラヤ湖畔で「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。・・・」思い悩むな・・と諭されました。一部聖書ではこの野の花を百合と表現していますが、本当は何の花なのか議論が続いています。百合はガリラ

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