10月8日礼拝説教「キリストの素晴らしさ」

聖書 出エジプト記20章18~20節、フィリピの信徒への手紙3章5~11節

私たちの一生は不自由に囲まれている?

私は今日の説教題を「キリストの素晴らしさ」としたのですが、説教準備をする中でパウロの手紙を味わっていて「キリストがすべて」の方が良かったと思いました。それは8節の言葉「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。」、そして9節の言葉「わたしには信仰に基づいて神から与えられる義があります。」という言葉が迫って来たからです。パウロはイエス様が大好きだった。「こんな表現を使うのはけしからん」と言われるかもしれませんが、「尊敬していた」とか「信頼していた」というよりも、もっと近い存在としてキリスト・イエス様を感じていたのではないかと思ったのです。

パウロは牢獄に監禁されています。そのような中でもイエス様のことを思い続けていて、身体的な自由を奪われている自分の側にいてくださることを感じて霊的な自由を得ていたのだと思います。ヒットラーのナチス政権によって拘束され処刑されたボンヘッファーも同じような状況に置かれていても自由でした。私たちは拘束されているわけではありませんが、それでも若いうちは自分の感情や欲望に支配されますし、働き盛りには職場や近所の人との関係において自由ではありません。そして高齢になると徐々に体や脳の働きが不自由になっていきます。最近の傾向として深い関係になることを煩わしいと感じるようになってきて表面的な付き合いにしている人が多いようです。SNSといったインターネットでつながる関係はある人を嫌いになれば接続を切ることで関係を遮断することができます。あるいはインターネットの世界で本当の自分ではない仮想の自分を演じ続ける人もいるようです。社会が交わりを希薄にしている状況にも不自由さがあるように思います。どの年代も肉体的あるいは精神的に拘束を受けているといえると思います。そのような私たちに霊的な自由が与えられていることをパウロの手紙に聞いてまいりたいと思います。

キリストに出会う前と出会った後のパウロ

パウロはキリストに出会う前と出会った後の人生がまったく違うものになりました。そのように自分自身で生き方を変えた人でした。キリストに出会う前のパウロは5節と6節に書いているように、当時のユダヤ人社会において身分や学歴や地位などにおいてエリート中のエリートでした。「生まれて八日目に割礼を受けた」というのは生まれた時から律法の規定を厳格に守ったということを示しています。もちろん自分の意思ではありませんが、親などによってそのような者とされたわけです。「イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身」というのは、パウロが神に祝福された民の一員であるというだけでなく、その中でも一番中心の部族であるベニヤミン族に属していることを表しています。「ヘブライ人の中のヘブライ人」というのはアブラハムの直系であることを誇る言葉です。これが彼の家系に関する誇りです。

更に、彼自身の教育や地位に関しては、パウロは「律法を守ることにおいて厳格なファリサイ派の一員」であることを誇ります。これは当時人々から尊敬された集団の一員であったということです。彼は高名なガマリエル先生のもとで律法について厳しい教育を受け、熱心に神に仕えていた人でした。妥協しない点ではキリストを救い主と証しする教会の人々を迫害する者でした。彼は熱心さのあまりに、厳格であり律法を守らない人々を排除することが神の御心に適うと信じていました。彼自身は律法を行うことによって神から正しい者と認められる者として非のうちどころのない完全な者でした。

その彼がキリスト者を捕まえるためにダマスコの町まで行く途中で復活のイエス様に出会いました。この出会いがパウロを完全に変えたのです。

キリストに出会った後のパウロは福音宣教に身を捧げ、貧しく、迫害を受け、牢獄に入れられる者となりました。外見は貧しく、哀れな存在のように見えて彼は霊的な自由を持ちました。厳格な律法遵守者がキリストを信じる信仰により自由な人になったのです。パウロは7節に「わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。」と書いています。さらには「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。」とまで書いています。パウロにとっても身分、学歴、地位などは豊かさそのものであったと思うのですが、彼はキリストに出会った後はそれらを損失と見なしました。常識では考えられないことです。

パウロの生き様を変えたもの

なぜパウロにこのような変化が起こったのかはここには書かれていません。私たちとしてはそこが知りたいと思うのですけれども、当時はそれを書くには及ばないほどフィリピ教会の信徒たちとの間に強い絆があったのでしょう。私たちはパウロのこの変化を丁寧に追わなければなりません。そのことによってパウロがなぜキリストがすべてであると自分の人生をキリストの福音を伝えることにささげたのかを知り、そして私たちの人生の指針が得られるのではないかと思うからです。

そのカギとなるのはパウロがイエス様をどのように思っていたかということだと思います。パウロは人生で一番価値があり財産となるのは、9節にあるように、キリストを得ること、キリストのうちにいる者と認められることであり、キリストへの信仰による義や信仰に基づいて神から与えられる義があることだと書いています。

パウロが復活のキリストに出会った出来事は使徒言行録9章に書かれています。旅の途中で突然、天からの光が彼を照らし、「なぜ、わたしを迫害するのか」という呼びかけが聞こえました。パウロはその光に向かって「主よ、あなたはどなたですか」と言いました。すでにパウロはその光に偉大なるものを見て、神を表す尊称の主という言葉を使っています。パウロの言葉に「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」という答えが返ってきました。そして彼は見えなくされました。その後、主はダマスコの町にいたアナニヤという人に現れ、パウロのところに行って、「主がパウロを異邦人たちにわたしの名を伝えるために選んだ」ということを告げさせました。アナニヤが彼の上に手を置いて主の言葉を告げるとパウロは再び見えるようになりました。手を置いて主の言葉を告げて祈ることによってパウロに聖霊が降ったのです。

十字架で死なれたが蘇ってこの世界を統治しておられる方が、いま自分の前に現れたのです。この出来事はパウロを決定的な回心に導きました。パウロは今まで聞いてきたことが真実であることを悟ったのです。それまで神は律法を厳格に守らせるお方で、守る者に祝福を与え、守らない者に呪いを与える審判者であると理解していました。しかし今や地上を歩かれたイエス様が教えられたように、神は私たちを愛し、導くお方であることを悟ったのです。それによって、貧しかったり、体が不自由であるという理由で律法を守れない人々や異邦人も神の祝福を受けることができることを理解しました。これこそ福音、良い知らせです。

このキリストを救い主と信じる信仰があれば神は律法を守ることができない人々をもご自分の子として祝福してくださいます。福音は律法を守ることができるユダヤ人だけのものではありません。福音は信じるものすべてに与えられる恵みなのです。

主を信じる人はキリストの死にあずかります。そして古い自分は死に、新しい自分に生まれ変わります。キリストを救い主と信じる信仰によって神がその人を正しい者と認め、神との平和が開かれるのです。これ以上に価値あるものはありません。これ以上の財産はありません。パウロは神との関係が回復され、律法の行いから自由になり、良心に従って生きる自由を獲得したのです。

十戒を与えた神の御旨

出エジプト記20章は神がモーセに十戒を与えた出来事が記されています。今まで話に出てきた「律法」はこの十戒が元になっています。神が十戒を与えた理由は20章2節に書かれています。エジプトの奴隷の束縛から解放し自由にしてくださったのは主なる神です。そしていつの時代でも、どんな状況にあっても、その状況から解放してくださる神との関係を人間が忘れないように十戒を与えたのです。

神の御旨は私たちに罪を犯させないことです。その罪は神から離れて自分勝手になったり、人間が神の如くなる罪の基から出てきます。出エジプト記20章20節に「神が来られたのは、あなたたちを試すためであり、また、あなたたちの前に神を畏れる畏れをおいて、罪を犯させないようにするためである。」と書かれているのは、人間が罪の基に支配され捕らわれないようにするために律法を与えられたのです。

しかし人間は神の戒めを忖度し、すべての人が守ることのできる戒めを一部の限られた人、例えば財産や時間がある人だけが守れる律法にしてしまったのです。私たちの社会にもいろいろな法律や暗黙の約束があります。それらが人を縛るものになっていることが往々にしてあります。人はその束縛に息苦しさを憶えながらも一人でそれに立ち向かわなければなりません。しかし聖書を通してキリストに出会うならば私たちはパウロと同じように自由を得ることができます。

ボンヘッファーの場合

獄中にいるパウロの願いは、キリストとその復活の力とを知ってその苦しみにあずかりたい、その死の姿にあやかりたい、何とかして死者の中からの復活に達したい、というものでした。これは死を望んでいる言葉ではありません。キリストを知り、その復活の力を知りたいという望みです。その理由はキリストの十字架が私たちと神との関係を回復させるためであったことを知りたいからであり、それは非常な苦しみであったことを知りたいからというものでした。

近代においてパウロと同じような状況に置かれた人の一人にボンヘッファーという牧師がいました。彼はヒトラーのナチス政権によるユダヤ人大量虐殺という暴走を止めさせるために、政権内部に入り込みヒトラーを暗殺しようとする計画に加わり、それが発覚して捕らえられ、ドイツの敗戦の直前に処刑されてしまいました。

彼はパウロと同様にキリストの死にあやかった人でした。彼が作った詩に「私は何者か」というものがあります。詩の最初の部分では彼が監禁されていても領主のように自由に振舞っていると監獄にいる人々が言っていることを詩に記し、中間部では籠の中の鳥のように落ち着きを失い憧れて病んでいる内面を記しています。再び彼は自分の問います。「私は一体何者か」と。そして最後に次のように記しました。

ああ神よ、私が何者であるにせよ、
あなたは私を知りたもう。
私はあなたのものである。

刑を逃れて解放された人々はボンヘッファーが牢獄の中で自由な人であったことを証言しました。しかし彼自身の内部では心細くか弱い彼がいました。そのどちらが本当の自分なのかと問い続けて、彼は「私は神のものである」という心境に達したのです。

パウロが到達した心境、あるいは信仰はこれに似たものであったのではないかと思います。パウロはいろいろな苦難に遭遇し、牢獄に閉じ込められ、生死の判決を待っている状態にありました。そのような中でパウロは自分がキリストのものであることを発見したのです。

パウロは英雄ではありません。私たちと同じ苦しむ存在です。しかしその苦しみを通してパウロは自分が主のものであることを発見したのです。そしてパウロはキリストを信じて神との関係を正しくしてもらうことが一番の価値であり財産であることを知ったのです。

キリストと結ばれていることさえできれば、その他の問題は彼にとってもはや小さな事に過ぎなくなっていました。それは生きるか死ぬかという、人間にとって非常に大きな問題ですら、パウロの中では小さな事になっていたのです。

キリストとつながっていれば、これからの将来にどのような問題が起きようとも、困難に遭遇しようとも、キリストが乗り越えさせてくださいます。それは癒されることであり、慰めを受けることであり、励ましを受けることです。キリストが私たちのすべてです。