9月25日牧師室より

大型の台風14号が過ぎ去り、一気に寒くなりました。季節の変わり目は体調を壊しやすいので注意しなければなりません。しかし牧師室が涼しくなって有難いです。

聖書を読む会ではガラテヤの信徒への手紙の最終章まで来ました。使徒パウロは悪徳と美徳を具体的に示して人はどのように生きるかについて勧告しています。

私たちはイエス様が十字架のあがないによって罪を赦してくださったことを喜びますが、善い行いをするようにとの勧告はあまり嬉しく思わない傾向にあります。一層困難なことは、自分の能力や熱情で善い行いをしようとすると、かえって人を裁くようになるということです。それは律法を書かれた通りに守っていたファリサイ派の人々に似ています。彼らは聖く正しくあろうとして善いことを行ったはずが、貧困や身体・精神が不自由で律法を守れない人々を差別し、遠ざけてしまっていました。

勘違いが起きるのは、神さまに善い行いが出来るようにと祈り求めていないからです。善い行いは聖霊に導かれてであることを忘れれば、善いものすべてを分かち合うという生き方が出来なくなってしまいます。人は何が正しいかを判断することはできません。何が正しいかは神さまに委ねてパウロが示した生き方を、ありがとうの一言でも、日々行えばよいのです。それはイエス様がお示しになられた生き方です。「キリストのしもべたちよ、主の御心忘れるな」(讃美歌21 418番)です。聖霊は私たちが主の御心を忘れないようにしてくださいます。