地球上に存在する水のうち飲むことのできる水はわずか0.02%程度だそうです。年間を通して安定して雨が降り、貯水できる山や河川に恵まれた国や地域がある一方で、世界人口の半数は深刻な水不足に悩まされています。私が神学生の時に研修に行ったフィリピンのネグロス島では、山間地に住む人たちは雨水を貯めて飲料水に使っていますが、衛生状態が良くなくて飲み水が原因の感染症にかかる危険にさらされています。
水は大切です。しかも自分一人が飲めればよいというのではなく、皆が渇かないようにしなければなりません。イエス様が人を避けて水を汲みに来たサマリアの女性に声をかけたのは、水が人間にとって必須のものであるように、交わりが必須であることを教えているように思います。飲める水を無駄遣いしている人々は渇きに苦しんでいる人々のことに思いを寄せなければなりません。
シリマン大学神学部では山間部の人たちが飲み水を手に入れることができるようにすることを神学の実践としていました。彼らは工学部に働きかけて最新の技術を用いた簡易浄化装置を開発してもらい、また飲み水を山間地の人々に届ける経済の仕組みを実践しながら模索していました。
人類は遠い宇宙に衛星を送る技術を持ちながら、渇く人々を助けることに関心を持っていないように思えてなりません。それは隔ての壁と言えるでしょう。交わりの回復とはこのような隔ての壁を越えることであり、それが水不足の根本的な解決につな
がるのではないかと思います。