3月10日牧師室より

先日ある人と、人間は善になれるのかという議論をしました。悪を行っている人が善になるのは無理なのではないか、という問題設定です。現実を見ていれば答えは「否」となりそうです。しかし人は神にかたどられて造られたと聖書は明かしています(創1:7)。どちらの理解が正しいかは人間にはわかりませんが、信じるものによって世界の見え方や生き方が変わります。

文東煥(ムン・ドンファン)牧師(1921~2019年)は『人間解放とキリスト教教育』(小杉尅次訳、新教出版社、1975年)の中で聖化を次のように語っています。

『人は自己完成を目指し絶えず前進せんとす。これは生の基本的姿勢である。生には、自我を完成させんとして沸き出ずるエネルギーがある。主イエスも人間の最終的目標が、神がそうであられるように「汝らも全かれ(あなたがたも完全な者となりなさい)」(マタイ5:48)にあると言われた。人間が神のごとくなり得るというのではない。神は神としてどこまでも創造の主であり、人間は人間としてどこまでも被造物である。この秩序は厳然として如何ともしがたい。けれども神の似姿を取って創造されたわれわれ人間は、「天の父の全き」を目ざして絶えず前進していく以外にない。』

これはパウロが信仰者を競技者にたとえているのに似ています。本来の姿を目ざして、共に喜んで進んでいきましょう。