3月31日牧師室より

イースターおめでとうございます。先日の聖金曜日に受難日礼拝をおこない私たちは自分の罪を見つめました。イエス様を十字架につけたのは、真実を知りながら自己保身のために有罪の判決を下したポンテオ・ピラト、扇動者やその言葉に乗せられて判断を放棄した群衆のような私たちです。惨めな自分を直視させられました。

今日はそのような惨めな私たちの心に光が灯されるイエス様の復活の記念日です。ここには悔い改めがあります。主の御力によって神さまの方に向き直り(すなわち悔い改めて)神さまを見上げて生きる者にならせていただきましょう。

最初にイエス様の復活を知らされたのは当時の社会では証言者とはなり得ない女性たちでした。そのような立場の人に復活の主は現れます。彼女らはイエス様が埋葬された墓の中でイエス様の遺体がなくなっているのを見ました。ペトロが彼女たちの話を聞いて墓に行って見たものも同じでした。「空の墓」が復活のしるしなのです。

イエス様は「私を見たから信じたのか。見ないで信じる人は、幸いである。」(ヨハ20:29 聖書協会共同訳)と言われました。2000年前の証人たちはその後に復活のイエス様に出会いましたが、それでも見ないで信じた者たちです。聖書(旧約聖書)を通して復活の主に出会ったのです。

今日でも復活の主に出会うことができます。聖霊のお働きにより聖書(旧新約聖書)の言葉を通してです。そして復活の主から生死を越えた永遠の命が与えられます。もはや死の恐怖にとらわれて苦しみ続けることはありません。