3月31日礼拝説教「万軍の神の勝利」

聖書 イザヤ書25章6~9節、ヨハネによる福音書20章1~10節

主の復活を祝う

イースターおめでとうございます。イエス様は復活されました。イザヤ書25章7節、8節には「主はこの山で/すべての民の顔を包んでいた布と/すべての国を覆っていた布を滅ぼし死を永久に滅ぼしてくださる。」と書かれています。この「主」とはすべてのものに勝る万軍の主です。

私たちは三日前の金曜日にイエス様の十字架の死を憶えて受難日礼拝をしました。イエス様は人々に神の国を示し、病人や心身の不自由な人を癒し、罪人と呼ばれてさげすまれていた人々の友となりました。多くの奇跡を起こされ神の御子であることを示されました。そのイエス様を人間は犯罪人として十字架につけて殺してしまいました。イエス様に従っていた弟子や人々は逃げてしまいました。しかしそれで終わりではありませんでした。神さまはイエス様を死者の中からよみがえらせたのです。

復活の証言

ヨハネによる福音書20章1節

週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。

安息日の朝の出来事はマグダラのマリアの話から始まります。マリアは日曜日の朝方のまだ暗いうちにイエス様のお墓にいきました。そして墓をふさいでいた大きな石が取り除けられているのを見ました。

大きな石ということで私は思い出すことがあります。私が育った町は小さな古墳がある町でした。中学時代に何人かの友達と古墳を見にいったことがあります。当時は石のお棺まで行くことができて大きな石の蓋に触ることもできました。それは長さが2m近く、幅が1m近く、厚さが20cmくらいはあったかと思います。とても大きな石でした。管理人がいなかったことや若かったので無茶をしてしまったのですが。男子5,6人で石の蓋を持ち上げようということになり、力を合わせて持ち上げたところ石の蓋を開けることができました。石棺の中を覗くとそこには何も入ってはいませんでした。中のものはすでに保管されていたようです。閉める時は石を支えられなくなり逃げ遅れた私は足の指を挟まれて3本骨折してしまいました。骨折のことは置いておいて、ここで言いたいのは石は重たくても動かせるということです。イエス様のお墓の入口をふさぐ石を置いたのは人間です。ですからそれを取り除けることもできます。

そうするとマリアが驚いたのは石が取り除けられていたというその事実にであったことが分かります。石を取り除けることをする人がいるとすれば、それはイエス様の遺体を盗むという目的のためです。もしイエス様の遺体を盗むとしたら、ローマ兵や群衆ではなくイエス様の弟子だったはずです。しかし弟子たちはイエス様が捕らえられてから逃げてしまいました。ペトロなどはイエス様が捕まえられてから裁判を受けるまでに3度もイエス様を知らないと言ったほどに、イエス様から離れてしまいました。そのような弟子たちだからイエス様の遺体を盗もうなどということは考えられません。いわゆる革命家たちがリーダーの遺体を担いで革命を起こすというのとはわけが違います。イエス様の遺体を盗もうと思う人はだれもいなかったということになります。イエス様は財産を持っていたわけではありませんから墓荒らしが宝石を取るために石を動かしたわけでもありません。

それでも墓を覆っていた石は取り除けられていました。このように考えると起きるはずのないことが起きていたのだということが分かってきます。マリアが見た光景から尋常ではないことが起きていたことが伝わってきます。

 

2節 そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」

マリアはシモン・ペトロともう一人の弟子の所に走って知らせに行きました。もう一人の弟子の名前は記されていませんが12弟子の一人であることは間違いありません。マリアは「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」と伝えました。マリアの狼狽ぶりが伝わってくるようです。

マリアの言葉を聞いたペトロと弟子は家を飛び出して墓に向かいました。4節から8節からは二人の慌てぶりが読み取れます。二人は一緒に走り出しましたが、もう一人の弟子の方が足が速くて先に墓に着きました。その弟子は先に着いたのですから直ぐに墓の中に入りそうなものですが、中に入らずにのぞき込むだけでした。そして見えたのは亜麻布でした。

いったい暗がりの墓の中をどの程度ちゃんと見ることが出きただろうかという疑問が残ります。もしかしたらエジプトのピラミッドのように朝日がお墓の中まで射し込んでいてお墓の中が分かったのかもしれません。いずれにしてもこの時に最初の弟子は気が動転していたということが伝わってきます。

 

7節 イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。

シモン・ペトロは後から来て、墓に入りました。彼が見たのは亜麻布と頭を覆っていた覆いでしたが、その二つは離れた所に置かれていました。誰も墓に入っていないのですからイエス様が復活して起き上がり、自ら頭の覆いを取り、体に巻いていた亜麻布を外したという可能性が高いということになります。

 

8節 それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。

もう一人の弟子もペトロが見たものを見ました。そして「信じました」。なぜ信じたでしょうか。もう一人の弟子は墓石が取り除けられていたこと、イエス様の体がないこと、頭の覆いと体に巻いていた亜麻布が別々の場所に置いてあったことを見て、イエス様の復活を信じたのです。復活のイエス様を見たから信じたのではなく、イエス様の体がなくなっていたことを見て信じました。

 

9節 イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。

この言葉は、いまだに二人はイエス様が復活することを理解していなかったというように読めます。そうすると8節の「信じた」と矛盾します。これについてはいくつかの解釈が可能です。

一つは、「復活を信じたこと」と「聖書に書かれていたこと」とが結びつかなかったということです。2つ目は「信じたのだけれども信じ切れなかった」ということです。

そこでギリシア語で書かれた原典を丁寧に読んでみますと、(9節の構文が大過去(ᾔδεισαν知っている・直説法大完了能動態三人称複数)となっていることから、)9節の文章は「この出来事が起きる前は弟子と言えどもイエス様の復活を信じていなかった」というものであることがわかります。語順を変えて最初の方にもっていけば分かりやすくなったでしょうが、福音書を書いたヨハネは「この二人の弟子がイエス様の復活を信じたのはイエス様の体がなくなっている墓を見たからだ」ということを強調するために、このような語順にしたのでしょう。

神は全能のお方

私たち現代人は科学的なものの見方になれていますから、「どうして」ということを説明されないと信じることは出来なくなっています。しかしよく考えてみますと私たちには説明のつかないことが沢山起こっています。人生は驚きや戸惑いの連続です。

なぜ信じることができないのかを考えてみますと、実は信じているものがあることに気がつきます。それは目に見えるもの、財産であったり、家族であったり、健康であったり、保険であったりします。それがあれば安心できるかと言えば、それでも人は安心できません。本当に信じるに足るものではないからです。神は全能のお方です。それは万軍の主という言葉で表されます。

このお方は人の生き死にも支配されています。人間には生と死の間には決して乗り越えることのできない断絶がありますが、神は生も死も支配しておられます。御心であれば死んだ者をよみがえらせることがお出来になります。

イエス様は復活されました。それは神にとって、死は消滅でも、乗り越えられない断絶でもないことを示すものでした。人は死ぬ存在であることを心のどこかに恐怖として持っています。神さまを知らないから、死を恐れるのです。イエス様の復活は人が復活することをお示しになったしるしでした。神さまは何ものにも勝る万軍の主です。神さまに出来ないことは何もありません。