「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。」(ヨハネ15:7)
何でも願いがかなえられるならどんなにいいだろうかと思います。そして大抵の場合、願ってもかなわないと諦めます。病気が癒されることを願わない人はいません。不幸の連続のような人生をリセットしてほしいという願うは切実でしょう。イエス様の言葉は真理なのでしょうか。それとも気休めなのでしょうか。
イエス様は「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば」と言われます。これが必要なのです。「つながる」とはイエス様に留まること、すなわち御言葉を聞いて受け入れることです。そうすれば私たちの内にはイエス様の言葉が響きます。そうするとその人は神の御心にかなうことを願うようになります。御言葉によって神はその人に何かの使命を与えておられることを知るようになります。病気が治ることや勝ち組の人生となること以上に大切なことに目を開かされるのです。
パウロは自分の肉体にあるとげを取り去ってくださいと何度も願いましたが、主は「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(Ⅱコリ12:9)とパウロに告げ、パウロはそれを信じて主の宣教の働きに仕えて多くの人に福音を伝えました。パウロの願いはその主の言葉でかなったのです。