1月15日牧師室より

教会の暦では2月25日までが降誕節です。この期間はイエス様の誕生からイエス様が成長して神の国を宣べ伝えたことを想起して過ごします。降誕節という名称ですが降誕日のみを記念するわけではありません。

今日の礼拝で読まれた箇所はイエス様の受洗の出来事です。キリスト教に似ているが違う宗教は聖書のこの記事を取り上げて、イエス様はこの時に神の子になったのであって、世が創造される前から存在していたのではない(先在の神ではない)と主張します。キリスト者はこれにどう答えたらよいでしょうか。

知識によって答えようとするのではなく、愛をもってその人たちに接し、神さまに祈って答えを求めなければなりません。神は人格的に私たちキリスト者と出会ってくださいます。すなわち神は聖書の御言葉を通して私たちに語りかけてくださいます。「ほら、ここにこう書いておいたよ」といった具合です。旧約聖書、特にイザヤ書の「苦難の僕」(42:1-4、49:1-6、50:4-9、52:13-53:12)は大切な箇所です。

自分の中で思索を熟成させていくのです。友と祈り牧師に聞くことも大切です。そうすれば、永遠の昔から神と共にあった言が受肉したという奇跡に驚かされるでしょう。人間はどうやっても神のもとに行き、神を見ることはできません。神が私たちのところに来てくださいました。