「わたしたちの命の糧」(2020年10月4日礼拝説教)

マルコによる福音書14:22~26
コリントの信徒への手紙一11:23~26

今日は世界聖餐日、世界宣教の日の礼拝です。
 世界聖餐日とは、週報にも記しましたが、1940年、世界が戦争へと傾斜していく中で北米キリスト教教会連盟によって「全世界のキリスト教会がそれぞれの教会で聖餐式をまもり、国境、人種の差別を越えて、キリスト教信徒がキリストの恵みにおいて一つであるとの自覚を新たにする日」として提唱されたことから始まりました。
世界中の教会が聖餐をとおしてキリストにある交わりを確かめ、全教会の一致を求め、また互いが抱える課題を担いあう決意を新たにする日として覚えるための日です。
 現在、世界中が新型コロナウィルスに苦しんでいます。恐らくこの世界聖餐日、世界中の多くの教会が聖餐式を執り行えないままなのではないかと思います。
 しかし、この世界全体が苦しみの中にあるこの時、聖餐、キリストの体と血にあってひとつとなる、そのことを覚えることがいかに大切なことかを心に刻みたいと願っています。そして、一日も早く、すべての教会が聖餐の恵みに与れる日を待ち望み、主にある希望を持って歩みたいと願っています。
 
 さて、礼拝を英語で言いますと。サーヴィス、またワーシップと呼びます。礼拝とは神への奉仕なのです。
 更に礼拝とは、神と人との出会いの場であり交わりの場であり、何より、イエス・キリスト、このお方がここにおられるということに違いありません。私たちは、イエス・キリストを中心としてここに集い、主が、主の霊であられる聖霊なる神が豊かに働かれていることを信じ、また求め、さらに主に贖われた民として、感謝と神に自らを献げる思いを以って礼拝を献げます。礼拝は、主に贖われた者、救われた者の第一の務めです。
 そのような主共にある交わりの中心、それは「食卓」なのです。イエス様は「共に食す」という交わりを、本当に大切にされた方でした。主は多くの人々と共に食事の席につかれ、食事の席でさまざま教え、また貧しい人、病気の人、罪ある人々を励まされ癒されました。そのことを福音書は多く語っています。
共に食し、共に生きる―イエス様のなさったことは思えば、人間の生活に密着した至ってシンプルなあり様であったことを覚えます。そのイエス様のあり様を、教会は引き継ぎ、また、主の晩餐と、イエス様が晩餐の席で語られた言葉を、真実に信仰をもって受け止め、聖餐式という形で大切に覚え続けているのです。そして、礼拝堂は、中心に聖餐卓があり、私たちは聖餐卓を囲み、礼拝を献げています。

 聖餐卓の第一の意味は、主の最後の晩餐の食卓を象徴するものですが、最後の晩餐の席で、主はパンを取り「取りなさい。これはわたしの体である」、また杯を取り「これは多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と言われました。イエス様は、ご自分の体と血を、弟子たちはじめ「多くの人」のために与える―与えるために自ら犠牲となるということを、最後の晩餐の席で語られました。
 旧約聖書を思い出してみますと、モーセを通して成し遂げられた出エジプトの時に、エジプトの民への神の怒りからイスラエルの民が救われるため、神の怒りがイスラエルの民の家を「過ぎ越す」ために、一家族に一匹の小羊が屠られ、その血が家の門のかもいと柱に塗られました。さらにその後の時代、律法に於いて、人間の罪の贖いとしての動物が犠牲となり、献げものとして献げ続けられました。
 それらの動物の死は、イエス様の十字架の犠牲に先立つものとしての犠牲、不完全な犠牲でありました。イエス様は屠られた動物たちの最後の犠牲となり、すべての人の罪の赦しのための犠牲となられました。
その意味で、この聖餐卓は犠牲の動物を献げた祭壇の意味を引き継いでおり、この聖餐卓は旧約の時代の祭壇をも表しているのです。

「主の晩餐」―イエス様が「明け渡される夜」の弟子たちとの最後の食事です。主の晩餐について語られているのは、マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書と、コリントの信徒への手紙一の四つの御言葉です。
 今日お読みしたコリントの言葉は、皆さん馴染み深い言葉だと思います。何故なら、私たちの教会では聖餐式の時に「制定語」として、この御言葉を毎回聴いているからです。制定語=聖餐式制定の言葉は、パウロによって語られたこの言葉を用いているのです。
パウロは、イエス様の直接のお弟子ではありませんでした。イエス様とその弟子たちを迫害する側のユダヤ人ファリサイ派の人でしたが、パウロはペトロをはじめとするイエス様の直接の弟子たちがはじめに形づくったエルサレム教会の使徒の教えを継承し、使徒たちと密接な関係を持っていました。
とはいえ、エルサレムの使徒たちははじめはパウロを警戒していたし、一線を引こうとしていたことが見受けられますが、パウロが積極的にエルサレム教会の人々と交流を持つことを望んで行動し、使徒たちを献金によって助け、パウロ自身がエルサレム教会の人々と共にあることを証しし続けたのです。
 そして、イエス様と共に、最後の晩餐=主の晩餐を囲んだ使徒たちの体験したこと、その言葉を自分も受けた言葉として深く覚え、「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです」と、主の晩餐の制定について語り始めているのでありましょう。

 コリントの教会はさまざまな乱れのある教会で、パウロはそれらの問題に対して苦言と教えをひとつひとつ為して行っているのですが、今日の御言葉が語られたのは、コリント教会の主の晩餐の交わりの乱れの問題に対しての言葉の中で語られています。
 パウロがこの手紙を書いたのは、イエス様の十字架からおよそ20年後、紀元54年頃。当時は、主の晩餐を記念して夜礼拝を献げていたと言われている説、また日曜日のみならず、週日の夕方にも日時を決めて集まっていたのだと言う説もあります。正確な状況は分かりません。
 その交わりというのは、食卓の交わりが大きな部分を占めていました。それはイエス様が食卓の交わりを大切にしておられたことに由来しているのでしょう。
 仕事が早く終わった人は早く来て、持ち寄ったものを食べて、ぶどう酒を飲んで酔っ払っていた。そんな中に仕事を遅くまでしなければならない貧しい人がその集会にやって来た時には、既に食べるものも飲むものも無く、ある人々は空腹のままであったというのです。
 この集会の晩餐の様子から、初代教会は愛餐と、聖餐の区別は無かったと言われています。そして「主の晩餐」として行われる食卓は、おのおのが持ち寄った普通の食事だったのです。だから、洗礼を受けていない人も誰でも教会の集会に集まってきて、共に飲み食いをしていた。そして詩編を歌い、説教があり、神からの啓示をいただき、異言を語り、異言を解釈し、献金をささげ、「聖なる口づけの挨拶」、主の再臨を待ち望むマラナタ、そして頌栄で閉じる―そのような礼拝、集会を持っていたことがこの手紙から分かります。
 礼拝の形、殊更に食卓の交わりは形に捉われないもので、楽しく飲み食いをし、遅く来た貧しい人には食べ物もぶどう酒も残っていない、パウロは「ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血とを犯すことになります」と27節で語りますが、この言葉は、各々をキリストの御前にその信仰とあり様を吟味することを勧める意味と共に、各々自分勝手な飲み食いで、貧しい人を退けるような教会のあり方が「ふさわしくない」とパウロは語り、主の晩餐のあり方を、使徒の教えに基づいて、コリントの教会を戒め、主の晩餐の意味を深く理解しつつ、秩序を以って行いなさいということを告げているのです。

 そしてこの手紙のこの箇所をひとつの契機として、教会の礼拝、聖餐のあり方は、試行錯誤の中で徐々に整えられて行き、後に礼拝は、まだ洗礼に至っていない未信者の人たちも共に集い食する愛餐が前半にあり、後半は信者だけが主の晩餐としての聖餐に与る、そのようにさまざま変化しつつ、聖餐をミュステーリオン=秘儀として重んじつつ、12使徒たち、イエス様と共に生きたキリスト教の第一世代の後の時代を歩み始めていたことがうかがわれます。
 因みに、2世紀初頭に纏められたと言われている「ディダケー」と言われている12使徒の書簡には、既に「聖餐は主の名によって洗礼を受けた者以外は与ってはならない」という教えが残されていることも覚えたいと思います。

 礼拝は、神と人との出会いであり交わりであり、イエス・キリストの十字架の死、贖いによる私たちの救いを表す、食卓を中心とした交わりです。私たちは、イエス様の十字架の犠牲によって、罪ある者であるにも拘らず、罪赦され救われました。そのように礼拝堂の中心が聖餐卓であり、イエス・キリストの体と血とに与るものであるにも拘らず、今、私たちは聖餐に与ることが出来ません。改めて本当に悲しむべきことです。

 パウロは最後の晩餐に於けるイエス様の言葉、「感謝の祈りをささげてそれを裂き、わたしの記念としてこのように行いなさい」また、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」というものであったことを、自分自身が主から受けた言葉として語っています。
 私たちは、聖餐に於いて、イエス・キリストの救いの出来事、また最後の晩餐でのパンを裂いて弟子たちに渡し、ぶどう酒をも同じようにされたことを「記念として」、覚え、十字架の救いが私たちに今、与えられていることを思い起こしつつ、聖餐に与っています。絶えず、聖餐に於いて十字架の救いの出来事を思い起こし、パンとぶどう酒を通して聖霊なる主が私たち自身に働かれることを信じてパンとぶどう酒をいただくのです。
パンをいただく時、私たちは十字架の上でキリストの裂かれた体が、「私の罪のため」であったことを私たち自身が自らの体に刻むのです。イエス様が「これは私の体である」と言われたのですから。
 またぶどう汁をいただく時、イエス・キリストの十字架で流された血が、私のためであったことを思い起こすのです。
 そして、キリストの血によって、私たちは贖われ、救われたこと、罪ある者が、神共にある永遠の命を受け継ぐ者とされたことを、私たちは私たちに主なる神がイエス・キリストを通して与えてくださった「新しい契約」のうちに既に入れられていることを心に刻み、聖餐を通して感謝をもって、キリストが私たちにご自身の命をささげてくださったように、私たち自身を、キリストに献身の思いをもって献げることを心のうちに確かにするのです。そして、やがて来るべき終わりの時、主に見え、顔と顔を合わせて食卓の席に着かせていただくことを希望として待ち望みつつ、パンとぶどう汁をいただくのです。
 そのようにパンとブドウ汁を受ける時、聖霊が豊かに働かれ、私たちの受ける命の恵みを確かなものと、すべてを導いてくださいます。

 しかし、礼拝に於いて、聖餐に与れない、今日の私たちはどうしたらよいのでしょう?
 私たちプロテスタント教会では、聖餐のことを「目に見える御言」、説教のことを「目には見えない御言」と呼ぶことがあります。説教は、御言葉への奉仕であり、奉仕の務めである限り、それは神への献げ物という意味を含んでいます。説教者は「語る」ことで主に奉仕し、会衆は「聞く」という信仰の行為によって神に奉仕をします。聖書朗読と説教を、主の体と血と受けるものとして受け取るべきでありましょう。
 さらに奉献(献金)を聖餐式の意味をもって捉え得ます。イエス・キリストが私たちのために命をささげてくださった出来事を「記念として」、十字架の救いに応答する形で、自らを献げることが、聖餐式に代わる奉献の意味です。
それと同時に、主からいただいた祈り「主の祈り」は、主が与えられ、私たちが主の言葉を祈るという意味で、主とひとつとなる祈りです。主の祈りは、聖餐式に代わるものと、聖餐式の無い礼拝では捉え得るのです。

 これらを私たちは覚えつつ、聖餐式の無い礼拝が続いておりますが、神への奉仕と献身の思いをもって、週の初めの日の朝ごとに、主の御前に集い、神を賛美し、主の救いの恵みを数えつつ歩みたいと願います。
 そして、一日も早く、イエス・キリストの体と血に、パンとぶどう汁をいただけます日が整いますことを、主に願い求め、世界が平安を取り戻し、世界の教会が主の体と血、パンとぶどう酒によって一つとなる日が再び来ることを強く祈り求めたいと思います。