7月9日牧師室より

今日は説教者が牧会する教会を交換して礼拝をおこなう交換講壇礼拝です。今日、説教していただく菊地信行先生はお若いですが実に落ち着いた説教をされる先生だと思います。普段の私の説教とは違った語り口で、若い世代の人の感覚でお話しされるのではないかと期待しています。

講壇を交換するというのは牧師にとってはいつもの信徒の方々にメッセージを語るのと違うので緊張感を覚えますが、信徒の方々にとっても緊張感をもって説教を聞く機会になっているのではないかと思います。お互いに礼拝への関わり方を見直す良い機会です。

私は4月から出身神学校の礼拝学ゼミを受講していますが、そこで気づかされたことは、礼拝は私たちが「喜び祝い、主に仕える」ときにのみ意味あるものになる、ということです。当たり前ではありますが、礼拝は私たちが神の御前でキリストの復活を喜び、生きる力を得る場所です。

礼拝には大きく分けて、オーソドックスで典礼的な礼拝と音楽を多様に取り入れた現代的な礼拝とがあります。表現する方法は違っても、どちらも喜びの場であり主に仕える場であることに変わりはありません。礼拝のプログラムには重要な意味がありますが、それらを理解しつつ形式を変えていくことは礼拝を喜び祝うものにする可能性があると思います。先週はミニコンサートに多くの方が参加して下さり、主にある交わりを豊かにすることができました。こういうことも礼拝につながっています。