7月23日牧師室より

この地に教会が生まれたことは主の御心であることは間違いありません。多くの祈りと献身的な働きがありました。そしてそれは今も続いています。

人は必要が満たされる場があれば求めて来るものです。しかし往々にして人は自分が必要としているものが何であるかを理解していません。この世には誘惑が多いし、それが自分の必要を満たすものだと勘違いするからです。ヤコブの井戸にこっそりと水を汲みに来ていたサマリアの女性は人々の交わりの外にいましたし、自分でその中に入って行くことができませんでした。普通に生活をしているように見えてこの女性は心が満たされていませんでした(ヨハネ4章)。そしてイエス様の方からその女性に声をかけました。これが主の体なる教会の姿です。主にある交わりが教会の場でおこなわれていれば心を満たしたいという必要を抱いている人が訪ねて来るでしょう。教会はだれでもそこに居て良い場です。主にある交わりについて考えることは夢や幻を見ることにつながります。

神さまは「あなたたちの間に預言者がいれば主なるわたしは幻によって自らを示し夢によって彼に語る」(民12:6)と言われました。今日ではそれは聖霊を受けたキリスト者一人ひとりです。私たちが見る夢や幻は主なる神さまのお姿です。懇談会では日頃の思いと夢を語り合いましょう。